1918年7月1日、多くの名作童話・同様を生み出した日本初の児童文学誌「赤い鳥」が児童文学者・鈴木三重吉によって創刊された。
「赤い鳥」が目指した童話は、明治以来の教訓的なお伽噺ではなく、一流の文学者によるオリジナルの作品が紹介され、それが名作としてのちに残った。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」、有島武郎の「一房の葡萄」、新見南吉の「ごん狐」などは、今も読まれている。
また童謡においても、「唱歌」ではなく芸術として高い価値を持つものとして、北原白秋の作品では彼の生涯の童謡1200編のうち、300編以上が「赤い鳥」で発表された。白秋の「からたちの花」や西条八十の「かなりや」などがある。
また、読者である子どもたちから、綴方や自由詩、自由画なども募集し、選評とともに「赤い鳥」に掲載した。
このような投稿欄は、児童尊重や個性尊重を理念とする新しい考えの小学校教師らにも支持され、子どもたちへと広がっていった。
投稿欄の中には、金子みすゞや岡本太郎、大岡昇平の名前もあるという。
最大発行部数は3万部といわれる。
1984年に、日本童謡協会が「赤い鳥」が創刊された7月1日を「童謡の日」と定めた。