文歴2年5月27日、小倉百人一首が完成した。
というのは、百人一首の編者である藤原定家の「明月記」この日の項に、定家が書写した和歌百首が京都嵯峨の小倉山荘の障子に貼られたとの記述があるからだ。1235年のことだ。
小倉山荘は、定家に秀歌撰を依頼した鎌倉幕府の御家人・宇都宮蓮生(頼綱)の別荘であり、その地で定家が編纂したことから、「小倉百人一首」と呼ばれるようになったとされる。
百人一首に選ばれた100首には和歌番号が付されており、この並びはおおよそ歌人の年代順となっている。1番の天智天皇から100番の崇徳院まで、すべてが勅撰和歌集に収載される短歌である。
詠み人は、男性79名、女性21名であり、天皇から公卿、下級貴族、女房、僧侶など多岐にわたっている。
百人一首が庶民の知るところになるためには、やはり正月の風物詩としても馴染みの深い「歌がるた」の存在が大きい。
江戸時代に作られたと思われる落語にも、「崇徳院」「千早振る」など有名なものがあり、また最近では日本テレビが製作幹事を務めた映画「ちはやふる」も印象に残っている。
少女漫画を原作にしたこの映画は、広瀬すずをヒロインにして制作された競技かるたを題材にしたもので、ヒットして続編も制作された。
万葉の昔から現代まで、日本人の心の奥底に流れる大きな文化のひとつなのだともう。
あなたの家には、百人一首のかるたはあるだろうか?