#16言葉と酒
人は時として他人を否定するような言葉を吐く。 否定という言い方がきついなら、ネガティブな言葉、と言い換えても良い。
文句、叱責、否定、非難、誤りの指摘、クレーム、悪口、怒りの言葉、嘲り、悪意ある揶揄、考えればキリがない。 それらの言葉の中には、もちろん正当な理由があるものがある。 叱責はその人に良かれと思って行われることも多いし、クレームにはこちらの明らかなミスの場合もある。そういった、正しいネガティブワードはやはり素直に聞かなくてはならない。特に年齢が高くなると、誰でも頑固になるもので、そういう者こそ大人の素直さが欠かせない。
しかし、そうは言ってもこちらも人間。否定的な言葉を投げられれば、どうしてもムッとする。それがいくら正しいと分かっていても、心が乱れる。 そこで売り言葉に買い言葉、喧嘩が始まる。 そうなってはいけないと、ぐっと我慢するとどうなるか。その場は収まるのだが、心の中にほんの少しだけどす黒いものが残る。一回一回のどす黒いものは大した量ではないのだが、これを放置しておくとだんだん溜まってきて、一定量を超えると相手に対する信頼や尊敬、愛情が損なわれる。 ましてや、相手に悪意があった場合や、単なる鬱憤の吐口になったような場合はどす黒いものの溜まり方は急速である。心が底冷えしてくる。
古くからの知り合いがいる。 その人とは以前、年末になると2人だけの忘年会を行うのを恒例としていた。 飲み始めて最初のうちは良いのだが、酔うにつれ、その人は僕に忠告をする癖があった。足りないところ、間違っているところ、考え方がおかしい点などを指摘する。最初は相槌を打ちながら聞いているのだが、そのうち嫌な気分がつのり、黙って聞くことになる。もちろん有難い指摘もあるのだが、思い込みや勘違い、「それ、僕のことじゃないんじゃない?」と言ったことも混じってくる。 挙句は、「野田さんのような立場になると、耳の痛いこと言ってくれる人もいないでしょ?僕は貴重な存在だよ、感謝してください」などと言ってくる。 余計なお世話だ。 結局、彼とは付き合うのが億劫になり、友達付き合いは途絶えてしまった。 酒を飲むと本性が現れるというが、これも他山の石、上から目線で語る癖は厳に慎まねばと、自らに言い聞かせている。
一方で、肯定的な言葉はやはり嬉しいものだ。感謝、褒め言葉、承認、ねぎらい、美点凝視、共感、良い方向への変化を見ていてくれたこと、思いやり深い言葉、心からの心配、そして愛情を示す言葉。 照れ臭くもあるが、やはり心が温まる。 「お前は、本当にいい奴だよなぁ」なんて、飲みながら言われたら、めちゃくちゃ酒が美味くなる。
ポジティブワードは、同時に人を動かす力がある。ネガティブワードで人を動かすのは効率が悪い。
叱られて素直に聞くのは大人も子供も難しいものだ。 肯定的な言葉をかけてくれる相手には、何かお返ししようと思うし、もっと頑張ろうと思う。 ポジティブワードと言っても、もちろん、お為ごかしや見えすいたお追従などは願い下げだ。 その意味で、褒めて育てるという言葉はあまり好きではない。そこには「褒める」という本来無垢で見返りを求めない行為を、道具として使うような作為を感じる。「褒めてあげたんだから、良い子にしてね」といった感じだ。 心の底から褒めていたら、それに応える形で子供が頑張る、というような自然な姿が本来の褒めて育てるなのではないだろうか。
今日は大学のゼミの忘年会。直接会えないのでzoomで行う。お説教は控えめにして、美点凝視で楽しくいこうと心に誓う。