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  日々一献#14
Rakza MAGAZINE

日々一献#14

2020.12.01
DIARY
野田 稔

#14 憧れの酒

この頃仕事が立て込み、ほとんど家に篭り切りになっていた。仕事はリモートが中心なので、仕事が増えれば増えるほど、出歩かなくなると言う、奇妙なニューノーマルな毎日だ。 ひどい時は1日の総歩行数が83歩と言う日があった。もちろん、家の中の移動の時に携帯を持ち歩かないので、カウントされない歩数があるのだが。

そこで、これではいけないと、無理に歩く時間を捻出した。僕は貧乏性なので、歩くとなると何か目的が欲しくなる。秋が深まるにつれ、日本酒の消費量が増え、酒用冷蔵庫に空きが目立つようになってきたので、これ幸いと日本酒の買い出しをすることにした。 我が家の近くにもそれなりの品揃えのいい酒屋はあるのだが、せっかくなので評判の良い新たな酒屋を探そうと、いそいそと検索した。

見つかったのがMという、創業94年の老舗酒屋だった。 隣の駅の近くなので、歩けば30分ほど。散歩にはちょうど良い。 暖かな小春日和で、気分も上がる。途中、もちバーなる珍妙なお菓子(アイスキャンデーのような形の柔らかいお餅)の自動販売機(と言っているが、後に人がいてゴソゴソやっている)にほっこりしたり、歌声喫茶のような楽器屋を見つけたり、楽しい散歩になった。

目指すM酒店はすぐに見つかった。 日本酒に限らず、酒屋は直射日光を嫌うので薄暗い店が多いのだが、この店は明るい。しかも、日本酒が陳列されているのは奥まった場所なので、ここには直射日光が届かない。なかなか配慮が行き届いている。

店に入ってすぐのところに置いてるのは、酒粕や味噌などの発酵食品。特に酒粕には驚かされた。大好きな埼玉の酒造メーカー、神亀酒造の酒粕が売られている。これは侮れないぞ、と気が引き締まった。奥の冷蔵庫が五合瓶を中心とした日本酒の陳列棚なのだが、想像通り素晴らしい品揃えだった。あれこれ品定めし、厳選4本を抱えて帳場に向かいふと目を上げると、興味深い張り紙が目に飛び込んできた。

「剣菱樽酒量り売りいたします」 思わず、「おぉっ!」と声が出てしまった。 剣菱、それも樽酒。

剣菱といえば、あの忠臣蔵の赤穂浪士たちが討ち入りの際に飲んだ酒だ。 昔からの日本酒好きにはどうしても見逃せない酒だ。 剣菱の形は不動明王の持つ降魔の剣の剣身と鍔の形を模したものだ。まさに鬼滅の刃とその鍔といったところか。上部の剣身が男性を、下部の鍔が女性の象徴とされ、この酒を飲むことでめでたい兆しを感じ取り、霊気と酒魂により家運隆盛を祈念するのだ。

剣菱酒造の歴史は長く、永正二年(1505)以前に遡るとされている。 剣菱酒造のホームページによると、同家には三つの家訓があるそうだ。 家訓その一 「止まった時計でいろ」 家訓その二 「いただいた資金はお客様のお口にお返ししろ」 家訓その三 「一般のお客様が少し背伸びしたら手が届く価格にしろ」 一番感心したのが一番目の家訓だ。流行を追うとどうしても少しだけ遅れる。遅れた時計が正しい時刻を示すことは金輪際ない。しかし、止まった時計は1日2度、ぴたりと正しい時を指す。世の中の好みは移ろうが、必ずまた戻ってくる。だから自分たちが信じる味を守り続けろ、ということだそうだ。

確かに剣菱の酒は今風の洗練された軽い酒ではない。ずっしりとした、昔ながらの日本酒である。当然好き嫌いもあろうが、もはや僕にとってはうまいかまずいかなどはどうでも良いことなのだ。要するに剣菱は憧れの酒だ。それも樽酒はその極みである。 僕に割り当てられた樽が開くのは12月20日。まだまだ時間があるが、待つのもまた楽しみだ。剣菱は祝酒でもあるが、弔い酒としても用いられる。

この年末は、父を偲んで一献汲もうと思っている。

野田 稔
Minoru Noda
座右の銘は夢は近付くにつれ目標に変る(イチローの言葉) 座長の野田稔です。 気付いたら大学で教え始めて20年!実務家と教員の2足のわらじも板についてきました。 今年はもう少し楽しみながら過ごしたいと思います。
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