大学野球の早慶戦には不思議で特別な決まりごとがある。
それは、どの試合も必ず、早稲田は1塁側、慶応は3塁側とベンチ・応援席が決まっていることだ。
この原因となった事件は、1933年10月22日の秋季リーグ戦早慶戦3回戦で勃発する。
両校1勝一敗で雌雄を決する大切な試合中、両チームの抗議によって2度も判定が覆るなど諍いがあった中、8対7で早稲田が1点リードしていた9回表、慶應の水原茂選手が三塁の守備につくと、早稲田応援席から水原に向かって食いさしのリンゴが投げ込まれたのだ。
これを水原は応援席に投げ返し、このことで更にテンションが上がった早稲田の学生は、逆転負けを喫した直後にグラウンドに乱入し、大乱闘となってしままうのだ。(まあ、完全に早稲田が悪い)
両校の諍いは1か月以上にも及び、最終的には、早稲田の野球部長と監督が辞任することで決着するが、この事件以降、早稲田は一塁側、慶應は三塁側と固定されるに至った。
後にプロ野球の大監督となる水原茂も、この後謹慎となり、さらに野球賭博容疑で野球部を除名され、運命を変える試合になった。
毎年秋になると、このことを思い出す。