ハチ公は1923年11月10日、秋田県大館市生まれの秋田犬。
そして生後間もなく、東京帝国大学農学部教授の上野英三郎に飼われるようになった。
上野はハチを可愛がり、松濤の自宅から通勤で使う渋谷駅まで伴うこともあったという。
ところが、ハチ公を飼い始めて1年あまり経ったのち、上野は脳溢血で倒れ、急死してしまう。一度は上野の妻・八重の親戚に預けられるが、悪戯や渋谷に向かって逃げることもあり、渋谷駅にも程近い富ヶ谷に住む上野宅に出入りしていた植木職人の小林菊蔵に預けられることになった。
上野が亡くなって2年余り経っていたが、ハチ公の姿が頻繁に渋谷駅で見かけられるようになる。
上野を迎えに渋谷駅に通っていると知った日本犬保存会初代会長の斎藤弘吉は、このことを「東京朝日新聞」に寄稿し、ハチ公は一挙に有名になった。
そして1934年に、渋谷駅前にハチ公の銅像が建てられた。
その除幕式には、ハチ公自身も出席したという。
しかしその翌年の3月8日、ハチ公は渋谷駅の近くで死んでいるのが発見された。満11歳だった。
忠犬ハチ公銅像と秋田県群像の維持会が、ハチ公の命日の1か月後の4月8日を「忠犬ハチ公の日」と制定した。
渋谷のハチ公像は世界的にも有名だが、東京大学の農学部キャンパスには、上野英三郎に駆け寄るハチの銅像がある。