1951年9月8日、アメリカのサンフランシスコで、連合国と日本の間で平和条約が締結された。サンフランシスコ平和条約や同講和条約は通称であり、公布された時の条約名は「昭和27年条約第5号」だった。
同日、「日米安全保障条約」も調印された。
実際に署名したのは吉田茂主席全権(首相)であり、全権委員は一万田尚登(日本銀行総裁)、徳川宗敬(参議院緑風会)、星島二郎(自由党)、苫米地義三(国民民主党)、池田勇人(蔵相)だった。
この条約によって、日本と連合国の戦争状態は終了した。
平和を願いノーベル平和賞候補にもなっていた湯川秀樹博士が、30年後の同じ日に亡くなったことに、何やら因縁めいたものを感じるのは僕だけだろうか。
日本にとって最後の戦争となった太平洋戦争。
大昔のことのように感じても、それが終結したのはたかだか73年前のことなのだ。
我々はそのことを肝に銘じ、決して戦争をしない国家を維持しなくてはならない。