1914年3月26日、島村抱月と松井須磨子が起こした芸術坐が、トルストイの「復活」の初演を行った。
この中で歌われた「カチューシャの唄」が大ヒットした。
この歌、なんだか物悲しいが心に残る歌で、さらに歴史に残る歌となった。
作詞は島村抱月と、早稲田大学校歌「都の西北」も作詞した相馬御風によるもの。そして作曲は、島村抱月の書生でもありその後1770曲もの曲を手がけた中山晋平であった。
また「カチューシャの唄」という短編映画も作られたが、今で言うミュージックビデオ的な作品であった。そしてこの映画は、エジソンが発明したキネトフォンを採用した日本におけるトーキーの最初期の作品で、そういう意味でも文化的な意味合いも深い。
NHKの連続テレビ小説「おちょやん」でも高城百合子との別れのシーンに「カチューシャの唄」が効果的に使われている。
また、AKB48の「カチューシャ」とこの歌の関係は不明だが、秋元康の構想の中に「カチューシャの唄」が持つイメージがあったと、僕は信じている。
カチューシャという言葉の響きの中に、なにやら郷愁のかおりがするのだろうか。