日本近代洋画の父と言われる黒田清輝は、1866年薩摩藩士黒田清廉の子として生まれる。
法律を学ぶためにフランスに留学したが、画家に転向することを決意し、ラファエル・コランに師事した。
とにかく骨太い人で、フランス留学中に描いた裸体画を公開しようとした時、公衆道徳に反するとの批判があったが、「終始骨なし人形ばかり描いていて、いつまでも美術国だといっていられるか」と一喝したという。
黒田の代表作、「湖畔」は美しい。
湖畔で右手に団扇を持ち、浴衣姿で遠くを見つめる美女のあの絵である。その線は優しく、湖畔と浴衣の青、向こうに見える山の緑が実に涼しげだ。
慶応2年生まれの黒田清輝が、明治・大正の日本美術界に新風を吹き込んだと言える。
1910年には、洋画家として初めての帝室技芸員に選ばれ、帝国美術院院長なども歴任した。20年には貴族院議員にも就任している。
1924年7月15日、尿毒症により死去。
57歳、早すぎる死だった。