現在は日本オリンピック委員会会長の山下康裕だが、熊本でわんぱく少年として柔道を始めたのは小学校3年の時であった。
中学1年で体重は100kg近くなり、全国でも注目される選手となった。
九州学院高校では、1年生でインターハイ重量級優勝。そして東海大相模高校に転校する。
東海大学に進学する頃から、山下は華々しい連勝を続ける。
最後に敗れたのは、1977年10月の全日本学生選手権決勝の吉岡剛戦での判定負けだった。
そこから世界選手権では2階級制覇も含め3連覇4連勝。
ロサンゼルスオリンピックでの金メダル、日本選手権9連覇、国民栄誉賞の受賞と続く。
引退までの連勝は7年6か月にわたる間の203連勝(途中引き分けは7回ある)、これはもちろん世界の柔道での最多連勝記録。右ふくらはぎの怪我をかかえながら、外国人選手には生涯無敗のまま1985年6月17日に、28歳の若さで引退した。
昨年10月に転倒して頸椎損傷で手術を受け、リハビリ中の山下会長だが、パリオリンピックでの職務復帰は断念したと伝えられている。
そのパリオリンピックは、7月26日に開幕する。