歌人・与謝野晶子。本名は鳳(ほう)志やう、大阪の老舗和菓子屋に生まれ、幼い頃から古典に親しみ店番をしながら和歌を投稿するようになる。
1900年に、のちに夫となる与謝野鉄幹と知り合い不倫の関係になる。
処女歌集「みだれ髪」の刊行は翌年のこと。女性の官能をおおらかに詠い、浪漫派歌人としてのスタイルを確立した。
また日露戦争が始まった1904年、「君死にたまふことなかれ」を発表し、従軍した弟を嘆き、堂々と戦争を非難した。
私生活では鉄幹との間に12人の子どもをもうけ、母としても大変な生活だったことは想像に難くない。鉄幹の仕事はなかなか評価が受けられないなか、晶子は古典の現代語訳や解説、評論も執筆する。
生涯で詠んだ歌は5万と超えている。
歌人として、妻として、母として、駆け抜けた与謝野晶子は、1942年5月29日、脳溢血により63年の生涯を閉じた。
白桜忌は晶子の遺歌集である「白桜集」からの命名であるが、それは法名である「白桜院鳳翔晶耀大姉」に因んでいる。
柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君
「みだれ髪」より