1952年5月19日、世界フライ級タイトルマッチに白井義雄が挑み、王者ダド・マリノに判定勝ちし、世界チャンピオンの座を獲得した。
このことにちなみ、日本プロボクシング協会によって「ボクシングの日」と定められた。
白井義雄は日本の世界王者の中で、唯一ボクシングジムに所属せず、欧米式のマネジメント制度のもとでチャンピオンとなった。
マネジメントをしたのは、GHQ職員で生物学者のアルビン・カーン博士であり、
徹底的な健康管理や、防御主体のテクニカルなボクシングスタイルを身につけることで白井は世界を手中に入れることができる立場になった。
白井とカーンの関係は白井の引退後までも続き、カーンは日本に永住し、白井夫妻は認知症になったカーンを最後まで看取ることになる。子どものいなかったカーンも、全財産を白井に譲ったという。
この時代の日本は戦後の復興期であり、プロレスやプロ野球と同じく、日本人が世界の中で台頭していくことが国民に大きな力を与えた。
当時のボクシングにおいて、世界王者になる道のりは今よりも遥かに遠く、その意味でも白井がもたらした結果は重い。