1951年9月7日、初めてC Mソングを使ったラジオC Mが、開局まもない中部日本放送と新日本放送でオンエアされた。
小西六写真工業株式会社(現コニカミノルタ)の「さくらフイルム」という商品のC Mだった。
三木鶏郎作詞・作曲による「ボクはアマチーアカメラマン」という曲で、企業名や商品名はなく、後のイメージソングに近いものだった。
当初はプロの作詞(作曲)家によるものが多かったが、やがて替え歌やシンガーソングライターの作品も増え、その膨大な数は日本のひとつの文化を形作ったとも言える。
その中でも、今年の5月30日に亡くなった小林亜星は、実に多くのC Mソングを作った。
レナウンの「ワンサカ娘」、明治製菓の「チェルシーの唄」、「酒は大関こころいき」、カゴメの「赤いキッス」、新興産業の「パッとさいでりあ」、ロート製薬「パンシロンの歌」など、今もすぐに頭に浮かぶ曲も多い。
今日は、初めてのC Mソングが流れて73年の記念日。