1950年結成というから、今を遡ること70年前のことである。
14歳もの年齢差でありながら、丁々発止の江戸弁のやりとり、三味線と新内野浪曲、時には踊りも交える芸の広さは圧巻だった。
特に好江の歯に衣着せぬ毒舌は、ビートたけしにもきっと影響を与えたであろう至芸だった。
同じ事務所に入ったウッチャンナンチャンの才能を見出したのも桂子・好江師匠であり、ナイツの師匠としても知られている。
昨年の8月22日に内海桂子が97歳で亡くなったニュースが駆け巡ったが、内海好江が亡くなったのは、1997年10月6日のこと、61歳だった。
したがって、今日が漫才師の内海桂子・好江としての命日ということになる。
胃癌で入院していた好江のもとに桂子が見舞いに訪れた際、「あと2年で結成50年なんだからしっかりしなさいよ」と声をかけたのが、きっと最後の漫才だった。