1971年10月11日、現役の横綱が急逝した。第51代横綱・玉の海正洋。27歳の若さだった。
大相撲の世界では、1969年に横綱・大鵬の連勝が45で止まり、横綱・柏戸が引退し、柏鵬時代が終わりを告げ、70年に北の富士・玉の海が同時に横綱に昇進した時代。
つまり北玉時代が始まった1年後のことだった。
1871年の七月頃、玉の海は急逝虫垂炎を発症していて早急な手術が必要だった。しかし横綱の責任や九月場所後に大鵬の引退相撲が予定されていることもあり、痛み止めで症状を散らしながら九月場所に出場し、引退相撲では大鵬最後の土俵入りで太刀持ちも務めた。
その後虎ノ門病院で手術を受けて、危険を脱したかに見えた。ところが、退院予定の前日に倒れ、そのまま死亡した。死因は手術後に起こった肺血栓だった。
玉の海の訃報を知り、北の富士は号泣したという。
27歳8か月といえば、まさに油の乗り切った年齢で、そこからさらなる活躍が期待されていた。
玉の海が亡くなった時点で、北の富士の優勝が7回、玉の海の優勝は6回であり、元気であれば二人でどこまで切磋琢磨できたかと思うと、誠に残念でならない。
歴代横綱の中で、初土俵以来一度も休場がない力士は玉の海正洋だけで、この記録は今も破られていない。おそらくこれからも。