1989年1月7日午前6時33分、昭和天皇が崩御された。
崩御が公表されたのは午前7時55分、しかも驚くべきスピードで翌1月8日午前零時をもって新元号「平成」とすると発表されたので、国民がこの日を昭和最後の日と感じることができたのは、わずか16時間あまりということになる。
新元号は、有識者会議で候補が決められ、国会で承認され閣議で決定する手続きが必要だが、官房長官が新元号を発表したのは14時30分のことだった。小渕さんが「平成」の額を示しながらの記者会見の様子は、覚えている人も多いだろう。
当時のニュース映像を見てみると、崩御が伝えられたのち多くの皇族や閣僚などが弔問のため吹上御所を訪れたことなどが報じられているが、そのほかにも証券取引所の取引が取りやめになったことにも触れている。
たまたまこの日は年明けの土曜日で、高校ラグビーの決勝戦が予定されていたが、天皇崩御を受け試合を中止し、茗溪学園と大阪工大高を両校優勝とし、表彰式のみが行われた。大学ラグビーの決勝や、競輪、競馬などの公営レースも中止になった。
また、その日の毎日新聞によると、皇居に最も近い東京郵便局には午前9時に「昭和64年1月7日」の日付印を求めた人が行列を作ったという記事もある。
僕は何をしていたかというと、当時は日本テレビ営業局営業推進部勤務であったため、天皇崩御による特別番組編成とコマーシャル自粛が決まっていたため、急遽出社してその対応に追われていた。
「昭和」は、歴史上最も期間の長い元号で、62年と14日。年数でも64年は当然もっとも長いが、その時代がこの日で終わった。
35年前の今日の出来事だ。