明暦3(1657)年1月18日、江戸の大半を焼き尽くす大火事があった。
「明暦の大火」である。火は3日間燃え続け、当時28万人とも言われる江戸の人口のうちの10万人が命を落としたという。
この火事は「振袖火事」とも呼ばれる。
その振袖に関する逸話にはいろいろあるが、もっとも一般的なものはこうだ。
浅草の大店の娘・お菊は花見で見かけた寺小姓の美少年に恋をする。しかしその想いは伝わることはなく、せめてもとその美少年が着ていたのと同じ柄の振袖を作る。しかし恋に焦がれたまま病に臥し、ついに明暦元年の1月16日に16歳の人生を閉じる。
娘の死後、その振袖が古着屋に出回ってしまい。それを手に入れた娘も病気にかかり、翌年の同じ日に同じ歳で亡くなる。さらにその次にその振袖が渡った娘も、翌年同じ日に亡くなったというのだ。
その振袖の因縁を恐れたある寺の住職が、着物を供養して焼き払おうとする。
その火のついた振袖が空高く舞い上がり、明暦の大火に繋がったというのだ。
それが1月18日。
この時期の江戸は、空気が乾燥し、風が強い日もある。
出火を戒めるための逸話かも知れないが、なんとも不思議な曰く因縁である。
この時の多くの無縁仏を弔うために建てられたのが、両国の回向院である。
回向院といえば相撲だが、初めての勧進相撲が回向院で行われたのは、100年以上も後のことである。