2016年10月20日、日本のラグビー界はかけがえのない人を失った。
「ミスター・ラグビー」平尾誠二が53歳の若さで亡くなったのだ。
京都市立陶化中学校でラグビーを始め、伏見工業高校、同志社大学と京都でラグビーを続け、リッチモンドにラグビー留学した後に神戸製鋼に入社した。
大学時代の1982年に、史上最年少(19歳4か月)で日本代表になり、あらゆるカテゴリーで抜群のキャプテンシーを発揮した。
平尾のキャプテンシーの凄さは、彼の言葉に現れている。
「怒るにしても褒めるにしても、それがどれだけ効果をあげるかを決めるのは、そこで発せられたリーダーの言葉です。リーダーの一言で、気合が入ったり、やる気が高まったりすることってありますよね。言葉にはそういう力があるのです」
「『おまえたち、ここで負けたら恥だぞ』とか言う監督がいたとしたら、それは選手の恥ではなくて、監督の恥なんですよ」
「部下に話を伝えるのが下手なリーダーは、ほとんどの場合リーダー側の受信機が問題です。そこをみんな間違えるんです。何かを伝えようと思ったら、まず相手の一挙手一投足に注意を払い、いまどんな精神状態にあるのか、性格はどんなタイプなのかと言ったことを見極める。話すのが苦手と言う人は、説得力より洞察力の方に磨きをかけるべきなのです」
「高校時代の恩師である山口良治先生の指導法はスパルタ方式で、入学した当初は、練習が嫌で嫌で仕方がありませんでした。しかし、苦しい練習を強制されているうちに、自分が強くなっているのが実感できました。それで練習が面白くなって、結局、先生に言われなくても、自発的に練習に取り組むようになりました」
「10人を前に話すとき、リーダーにとっては1対10ですが、部下はそれぞれ1対1だと思って聞いています。だから私は、これはとくにあいつに聞いてほしいと言う部分が来ると、その人間の顔を見ます。そうすると、いま自分だけに話しかけてくれているという気持ちになって、真剣に聞こうという気持ちになるのです」
「スポーツに自己犠牲などありえないと思う。自己を生かすことがチームを生かすことなんだ」
平尾誠二を失ったことは大きな打撃だった。
しかし、ジャパンラグビーは平尾の意思を継いで、2019年のワールドカップで花を咲かせた。そしてそれは、今のジャパンに引き継がれているのだ。
今夜は、平尾誠二に杯を捧げよう!