1895年8月30日、富士山頂に野中測候所が開設した。
大日本気象学会の野中至が資材を投じて建設したもので、木造6坪の観測所であった。
この測候所を原点にして、1936年には国費による常設の「中央気象台富士山頂測候所」となり、1964年には富士山レーダーが設置された。
レーダーの建設には幾多の困難があり、建設責任者となった気象庁の技官・藤原寛人(のちの新田次郎)が小説「富士山頂」に書き、N H Kの「プロジェクトX」でも取り上げられた。
富士山レーダーの設置は、半径700kmという広範囲の観測が可能となり、台風の観測などに大きな力を発揮した。
先人の苦労は、大いに報われた。
しかし、気象衛星の発達などにより、1999年にはレーダー観測が廃止され、その後無人化された。
富士山レーダードームは、富士吉田市にあるレーダードーム館で体験学習施設として保存されている。
かつては遠くからでも目視できたレーダードーム。
富士山レーダーが果たした役割は、とてつもなく大きかった。