1971年5月14日大相撲五月場所五日目、第48代横綱・大鵬は新鋭の西小結・貴ノ花に敗れ2敗目を喫した。尻から落ちた敗戦に、体力の限界を感じた大鵬は翌日の福の花戦を「自身最後の相撲としたい」と申し出たが、これを協会から「死に体で土俵に上がることはできない」と却下され、引退を決断した。
32度の優勝を誇る戦後の大横綱の矜持だったのだろうか。30歳だった。
1991年5月14日大相撲五月場所三日目、第58代横綱・千代の富士は西小結・貴闘力に生涯初の「とったり」で敗れ1勝2敗となり、その日のうちに緊急会見を開き、現役引退を表明した。もう一度優勝すれば大横綱・大鵬に並ぶ31回の優勝を続けていたが、「体力の限界・・・」と土俵を降りる決断だった。36歳を目前にした決断であった。
僕にとっての大横綱は、第35代双葉山、大鵬、第52代北の湖、千代の富士、白鵬であり、双葉山が33歳、北の湖の引退も31歳、白鵬も36歳で土俵を去った。
千代の富士引退に際し、師匠の九重(元横綱・北の富士)は、「記録は31回も32回も一緒だ。記録にこだわっちゃいかん。辞める時が大事だ」と言った。
気になるのは、第73代横綱・照ノ富士春雄の引き際である。まだ若く、10回目の優勝を目指していることもあり、また一人横綱で日本相撲協会の第看板であることにも間違いはないが、まさに満身創痍のその体は見ているだけでも無理をしているのがわかる。
今場所も初日に新進気鋭の新小結・大の里に敗れ、二日目からは休場してしまった。