伊能忠敬が国土測量のため、最初に江戸を出て蝦夷地に向かったのが寛政12(1800)年閏4月19日のこと。
したがって、この日が「地図の日」、または「最初の一歩の日」とされている。
伊能忠敬は1745年の生まれ。造り酒屋の次男坊だったが伊能家に婿入りし、名主となる。その頃から、地主として田畑の測量などを学んでおり、それが後に役立つことになる。
50歳で家督を長男に譲り、忠敬は江戸へ出る。
そして幕府天文方の高橋至時に弟子入りし、暦学と天文を学ぶ。
忠敬が全国測量の旅に出たのは、なんと56歳の時である。
それから、合計10回に及ぶ測量の旅に出、歩測によって全国の地図の作成を目指す。忠敬の歩行距離は20年間で、地球一周を超える3.5万キロ。
測量の旅を終えた後、地図を作り始めていた最中、1818年に74歳で死去。
しかし、忠敬の死は隠され、弟子たちによって地図の作成作業は進められた。
1821年、「大日本沿海輿地全図」が完成。
縮尺3万6千分の1の大図214枚、他に中図8枚、小図3枚からなる大作であり、緯度1度の距離が現在の値と比較しても誤差1000分の1の、極めて正確なものだった。
そしてその三か月後に、忠敬の喪が発せられたという。
伊能忠敬が第一歩を記した4月19日。224年前の今日のことであった。