元禄15年12月14日、大石内蔵助が率いる赤穂浪士四十七人が、江戸本所松坂町にある吉良上野介邸に打ち入った日。
誰もが知る赤穂事件だと思うが、僕は子供の頃からこの「赤穂事件」とも言える一連の騒動が好きで、多くのドラマや映画、書物を目にしてきた。
しかし、結論から言えば討ち入りは私闘であり、テロ事件とも言えなくはない。
故杉浦日向子が書いた「本朝大義考 吉良供養」(未完)には、その辺りのことが丁寧に描かれている。杉浦の視点も、残虐行為ではないかというところにあり、吉良方の犠牲者にフォーカスを置いている。
もちろん、松の廊下での刃傷事件をクライマックスとする浅野内匠頭切腹までの事件にはいろんな事情があろうが、老人である吉良上野介を武装した四十七人もの浪人が夜明けに奇襲をかけて殺害するというのは、たとえ江戸時代であっても尋常ではない。
だからこそ、現代に生きる我々はこの事件を語るのであれば冷静な判断が必要なのだと思う。
ただ、この事件が内包している様々な問題、特に刃傷事件に対する幕府の反応が、この討ち入りにつながり、結局打ち入った浪人が悉く切腹した事実を考えると裁きの是非を感じざるを得ない。
「忠臣蔵」というタイトルのドラマや映画が多い中、「四十七人の刺客」というタイトルをつけた市川崑は見事であると思う。