1970年11月25日、三島由紀夫が自ら主宰する「楯の会」のメンバー4人と共に東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で総監を人質にとって本館前に自衛官1000人を集合させ、バルコニーから檄文を撒き、憲法改正のため自衛隊の決起を訴える演説を10分間行った。
演説を終えた三島は、最後に同行した森田必勝と共に皇居に向かって「天皇陛下万歳!」を三唱した。
そして、三島と森田はあいついで割腹自殺を遂げた。
いわゆる「三島事件」である。
三島の辞世の句
「益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ堪へて 今日の初霜」
「散るといふ 世にも人にも 先駆けて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」
三島が監督・主演を務めた映画「憂国」にちなみ、この日は「憂国忌」と呼ばれている。
三島は満年齢と昭和が一致しているため、「昭和」と生涯を共にして、あの時代が持っていた問題点に光を当てた人物として語られることも多いが、どのように生きようとしたのか?
そして生きることができなかったのか?
それは永遠の謎となった。