1912年9月13日、日本帝国陸軍の乃木希典大将が、明治天皇の大喪の日に、静子夫人とともに殉死を遂げた。
乃木大将は長州藩士で、秋月の乱を鎮圧し、また西南戦争にも従軍した。
明治新政府になってからは、ドイツに留学し、日清戦争では台湾に出征、また日露戦争の旅順作戦の指揮でも知られる。
明治40年には、第10代の学習院院長にも就き、昭和天皇の養育に携わっている。
明治天皇の大葬の礼の日の午後8時ごろ、乃木は夫人と共に自刃して亡くなった。
乃木の訃報が報道されると、多くの国民は大いに嘆き、また欧米の新聞においても大きく報道された。
また乃木夫妻が自刃した東京・赤坂の邸宅は、乃木神社となっている。
乃木希典は以下の時世を残している。
神あがりあがりましぬる大君のみあとはるかにをろがみまつる
うつ志世を神去りましゝ大君乃みあと志たひて我はゆくなり