12月の第1日曜日には、関東大学ラグビー対抗戦グループの最終戦、早明戦が行われる。今年は記念の100回目となる。
ラグビーの早明戦は、日本のアマチュアスポーツの中でも屈指の人気を誇る対戦だ。初の早慶戦のよく年、1923年に始まっていて、1973年以降は建て替えが始まるまで国立霞ヶ丘競技場で行われていた。(その後は秩父宮ラグビー場)
死闘の数々は早明戦の歴史を彩っているが、特に1962(昭和37)年に対抗戦Bグループに転落した早稲田がAグループ優勝の明治を破った戦いは有名。この年、早稲田は「カンペイ」というサインプレーを発明した。(SHからSO、SOからインサイドCTBまで回したのち、アウトサイドCTBの背中側を通して飛ばし、FBにパスをするプレー=カンペイとは菅平の音読みらしい)
また、1982年には国立競技場の収容人員を超える66,999人が競技場に入りラグビー協会が批判され、のちに全席指定になるキッカケとなった。
さらに、今も語り草となっている1987年の雪の早明戦や、国立最後となった2013年のユーミンが「ノーサイド」を歌ったことなど、日本のスポーツ史に残る逸話も多い。
それにしても、真珠湾攻撃の前日1946年12月7日にも早明戦は行われており、ちょっと驚く。
戦績は、早稲田の55勝42敗2分
大学選手権などでは、早稲田の7勝9敗
こちらは早慶戦に比べるとかなり早稲田の分が悪くここ2年連敗しているが、帝京の34連勝を止めた早稲田はこの試合に完全優勝がかかっていて、とても興味深い。
キックオフは14時、心が高鳴る。