2014年3月27日、ハイ・ファイ・セットのメンバーであり、音楽プロデューサーでもあった山本俊彦が亡くなった。
虚血性心不全による急死であった。
1975年「卒業写真」のシングルと同名アルバムの同時リリースでデビューしたハイ・ファイ・セットは、美しいハーモニーとソフィスティケートされたイメージでヒットを飛ばし、19枚のアルバムを発表する人気グループとなった。
その前身は「赤い鳥」であり、「竹田の子守唄」の竹田に近い高校に通っていた僕は、「卒業写真」の年にその高校を卒業したこともあり、青春時代を共に過ごしたグループのように感じていた。
実は、ハイ・ファイ・セットは1994年に解散しているのだが、山本俊彦の妻となっていた潤子がその後シンガー・ソングライターとして活動を続けたこともあり、またいつかその姿を見ることができるような気がしていた。
ただ2014年2月23日に静岡の沼津市民文化センターで行なわれたコンサートで山本潤子は、5月6日の名古屋公演を最後に無期限の休養に入ることを宣言した。
そして、その1か月後に山本俊彦は急死したのだ。
僕にとっては、今日という日がハイ・ファイ・セットの本当の意味での解散の日になってしまった。