1809年マサチューセッツ州ボストン生まれ、幼くして旅役者であった両親を失い、商人のアラン家で育てられた。
大学時代から詩人として認められるが、賭博や飲酒で悪名を馳せ、義父との不仲もあり退学処分。その後入った陸軍士官学校でも退学処分となる。
しかし、その後積極的に捜索活動を始め、恐怖小説としての「アッシャー家の崩壊」、「黒猫」、世界初の推理小説「モルグ街の殺人」、暗号小説とも呼ばれる「黄金虫」などを生み出した。
その作品は、フランスの詩人ボードレールの翻訳により、19世紀のフランス文学界に多大な影響を及ぼしたと言われている。
日本文学にも大きな影響を与え、饗庭篁村、平塚らいてう、森鴎外も翻訳をしたほか、谷崎潤一郎、荻原朔太郎、佐藤春夫、芥川龍之介にも大きな影響を与えた。
ポーから筆名を得た江戸川乱歩もまた大きな影響を受け、「探偵作家としてのエドガー・ポー」という作家論も発表した。
しかし、アメリカでポーが評価されたのは、死後約1年を経たのちのこととなる。
1949年10月、自身の結婚式を間近に控えた中、旅先のボルティモアでひどい泥酔状態でしかも他人の服を着せられた状態で発見された。すぐさま病院に担ぎ込まれたが、何も事情を話すことなく4日間の危篤状態ののち、10月7日早朝に帰らぬ人となった。40歳であった。
エドガー・アラン・ポーが残した最後の大きな謎であり、その謎は今もまだ解明されてはいない。