1910年の11月6日に、日本初のアパート「上野倶楽部」が完成した。
木造5階建て70室の賃貸アパートだったという。
不忍池畔という立地で、6畳ないし4畳半の部屋にキッチンが付く間取り、洗面所とトイレ、浴室も1階に2か所の供用で、浴室にかかる費用は利用者が実費負担していた。
家賃は周辺相場の2倍程度であったため、入居者は公務員や会社員、教師などでほとんどが妻帯者、ロシア人やフランス人も住んでいたという。
驚くのは、西條八十も住んでいたことがあるという。
そして、その時に「かなりや」の詩が出来上がったという。
八十本人が書いた「現代童謡講座」の中に、「私はその頃、家族を神田の家に残して、ひとり不忍池のほとりの上野倶楽部といふ、だいぶ古くなったアパートメント・ハウスの4階でくらしてゐた」また「東照宮の境内を歩いて、私はゆくりなく幼い日のさうしたデリカな記憶を呼び起こした。さうしてあの幅の広い石階を下って上野倶楽部の自分の室へ戻るまでに、あの『かなりや』の唄は半ば心の中にまとまりかけてゐた」という記述があるのだ。
「かなりや」の歌碑が不忍池弁天島の天龍橋のそばにあるのも、そのためなのだろう。
記念日を調べていると、思いもかけないことを発見することもある。