1868年8月23日、戊辰戦争で、会津藩の「白虎隊」が城下の飯盛山で自刃した。
戊辰戦争は、新政府軍と旧幕府軍との戦い。会津藩では軍を年齢によって白虎、朱雀、青龍、玄武の部隊に分けており、白虎隊は17歳以下の少年で編成された。
会津藩を含む奥羽越列藩同盟軍が官軍と戦闘状態に入ると、白虎隊も実戦に参加した。
その中で、二番隊は戸ノ口原の戦いで決定的な打撃を受け、戦死者を出しながらも飯盛山へと落ち延びた。さらにこの時、城下に火の手が上がったのを若松城の落城と誤認し残った20人が自刃したとされている。
会津藩では「什(じゅう)の掟」というのがあり、「ならぬことはならぬものです」と教えている。
敵に捕まり生恥を晒すことを望まず、自刃した若者が痛ましい。
今からほんの150年少し前の、現実の話である。