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  江夏の21球
Rakza MAGAZINE

江夏の21球

2020.11.04
編集長の独り言
田中 尚雅

1979年の11月4日、日本のプロ野球史において、後にもっとも有名な試合のひとつとなるゲームが行われた。

「江夏の21球」で知られる、この年の日本シリーズ、3勝3敗で迎えた近鉄バファローズと広島カープの最終戦だ。

ともに初の日本一を目指す両チームは、拮抗したゲームで7回表が終わって4対3と広島がリード。ここで広島・古葉監督は絶対的守護神の江夏豊にマウンドを託す。

江夏は7回8回を三者凡退に切って取るが、9回裏先頭の羽田耕一が初球をセンター前にヒットし、この1球が「21球」の初球となる。

 

詳しい経緯は、後に示すルポやNHKの特番を見てもらいたいのだが、この試合は、結局無死満塁の絶体絶命のピンチを背負った江夏が、三振とスクイズを見破るウエストボールによる走塁死、さらに三振を取り、21球無失点で切り抜け、広島カープの初の日本一を成し遂げることになる。

 

この試合の当日は、僕は大学4年で日本テレビを受験中のある1日だった、はずだ。試合の最後は早稲田大学の生協の横にあった、テレビで見た記憶が微かにある。

しかし、メディアの力の凄さを知るのは、翌年4月に文藝春秋社から創刊された「Sports Graphic Number」に載った山際淳司の「江夏の21球」に大きな衝撃を受けた。

江夏本人にロングインタビューを中心に、選手やベンチの精神面も加えて多角的にこの試合の9回裏を再現し、「スポーツノンフィクションのジャンルを確立した印象的な作品」と江夏自身にも言わせる傑作となった。

大学3年でゼミを選択する時、新聞かテレビで悩みテレビを選択した僕には、活字の力を改めて感じさせられ、悔しい思いをした。

尚、このノンフィクションは、今も角川文庫の「スローカーブを、もう一球」で読むことができる。

しかし1983年1月に、NHK特集・スポーツドキュメント「江夏の21球」が放送され、テレビの可能性も大いに示してくれる。

「Number」と山際淳司の協力も得、同じタイトル「江夏の21球」と題したのも画期的だが、野村克也をストーリーテラーに置き、多くの関係者のインタビューに加え、江夏が1球1球解説し、さらに画面上に投球の軌跡を描いた技術も凄かった。手作業だったらしい。

試合の映像にない部分を大阪球場まで行って、追加取材までしている。

 

この番組を見た僕は、テレビという媒体の説得力と機動力には大いに感心し溜飲を下げた部分もあるが、心の根底ではひとりのクリエイターの洞察力の深さに感じ入った気もする。

テレビの仕事は、あくまで多くの人による分業の結果であるからだ。

 

今になって、文章とともに生きていきたいと思うようになったのは、この41年前のこの試合がどこかで繋がっているのかもしれない。

田中 尚雅
Naomasa Tanaka
クリエイティブ部門を担当する田中尚雅です。MAGAZINの編集長でもあります。
社会が幸福になるには、それを構成する一人ひとりの幸福こそが必須です。 そのために、あらゆる方法で人と伴走したいと考えています。
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