1875年6月1日、東京の赤坂葵町に日本初の気象台、東京気象台が設置された。この日から気象と地震の観測が始まった。
のちに中央気象台と名前が変わり、現在の名前は気象庁である。
日本最初の天気予報は、
「全国一般風ノ向キハ定リナシ。天気ハ変リ易シ。但シ雨天勝チ」
というものだった。天気予報と言えるかどうかの曖昧な表現だったようだ。
この天気予報は、東京市内の交番で掲示されるだけで、見ることができる人は限られていた。新聞に掲載されるようになったのは、1888年4月からで、これは予報が8時間後から24時間後まで延長されるようになり、新聞の印刷や配布に間に合うようになったからだった。
このことにより、天気予報は普及する。
昨日の朝日新聞・天声人語で、この天気予報第1号のことが紹介されていた。
これを書いたのは、明治政府に雇われていたプロイセン生まれのクニッピングなのだという逸話だった。
実はこの日も6月1日(1884年)とのことだった。はるか昔なのか、つい最近なのか、人によって感じ方は違うのだろうが、郷愁を誘う話である。
1955年には、日本電信電話公社(NTT)現が局番なしの「177」で天気予報サービスを開始した。そう言えば、僕が子供の頃は重要なイベントの前には電話で気象予報を確かめていたような記憶もある。
写真は、日本初の天気予報発表時の天気図