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  日本航空123便墜落事故の日
Rakza MAGAZINE

日本航空123便墜落事故の日

2020.08.12
編集長の独り言
田中 尚雅

1985年8月12日19時半ごろ、テレビ各局は、日航ジャンボ機が、レーダーから消えたという第一報を告げた。

それからメディア各社は混乱の取材合戦となる。横山秀夫の小説で映画にもなった「クライマーズ・ハイ」さながらの現場だった。

翌日の「ズームイン‼︎朝!」のディレクターだった僕も、その騒ぎの渦中にいた。

お盆直前の東京−大阪便、夏休みでもあり乗員乗客524人を乗せた航空機の遭難だ。

折しも徳光和夫キャスターは夏休みで、翌日のキャスターは辛坊治郎(YTV)と森きく子(SDT)に決まっており、彼らの緊張も究極のものとなった。

夜を徹しての取材、そして翌朝のNNN報道特別番組となった「ズーム」の本番のディレクションは、生涯忘れることができない。

夢中で作り上げた90分間になった。我々は何か少しでも役に立てたのであろうか?

結局、墜落地点が確認されたのは番組が始まる前の翌朝早朝、生存者の発見と救出は昼前のこと。報道は、この後しばらくこの事故一色に染まった。

航空機の単独事故としては、520人の死者を出す史上最多・最悪の事故となった。

 

2016年に「山の日」が制定されるとき、当初はお盆休みに合わせやすい8月12日が有力視されていた。しかし、この事故のことを考慮して11日になったという。

 

横山秀夫が「クライマーズ・ハイ」で書いた、現場を見た記者の現場雑感が胸に突き刺さる。

「若い自衛官は仁王立ちしていた。

両手でしっかりと、しいさな女の子を抱きかかえていた。赤い、トンボの髪飾り。青い、水玉のワンピース。小麦色の、細い右手が、だらりと垂れ下がっていた。

自衛官は天を仰いだ。

空はあんなに青いというのに。

雲はぽっかりと浮かんでいるというのに。

鳥は囀り、風は悠々と尾根を渡っていくというのに。

家如何は地獄に目を落とした。

そのどこかにあるばずの、女の子の左手を探してあげねばならなかった…」

我々は、歴史に残る大事故を目撃した。

これを忘れることなく、事故防止に生かしていく義務がある。

 

あの日からもう35年になる。

田中 尚雅
Naomasa Tanaka
クリエイティブ部門を担当する田中尚雅です。MAGAZINの編集長でもあります。
社会が幸福になるには、それを構成する一人ひとりの幸福こそが必須です。 そのために、あらゆる方法で人と伴走したいと考えています。
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