誰もが知る歌道の宗匠、藤原定家(ふじわらのさだいえ、ていかとも呼ぶ)は、日本の文化史上に多大な実績を残した。
二つの勅撰和歌集「新古今和歌集」「新勅撰和歌集」の撰進をし、秀歌集「小倉百人一首」も撰じた。
歌論書「毎月抄」や、六歌集のひとつ「拾遺愚草」を書き、18歳から74歳までの克明な日記「明月記」を残し、また「源氏物語」や「土佐日記」など多くの古典の書写も残している。
定家の用いた仮名遣いは「定家仮名遣」と言われ、その書写は「定家本」として大きな価値を持ち、ドラマ「相棒」でも殺人の動機になった。
「小倉百人一首」では権中納言定家を称し、
「来ぬ人をまつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の身もこがれつつ」
を自選した。
仁治2年8月20日薨御、享年80、今日は定家忌。
写真は2000年に国宝に指定された「明月記」