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  ハイ・ファイ・セット解散の日
Rakza MAGAZINE

ハイ・ファイ・セット解散の日

2021.03.27
編集長の独り言
田中 尚雅

2014年3月27日、ハイ・ファイ・セットのメンバーであり、音楽プロデューサーでもあった山本俊彦が亡くなった。

虚血性心不全による急死であった。

 

1975年「卒業写真」のシングルと同名アルバムの同時リリースでデビューしたハイ・ファイ・セットは、美しいハーモニーとソフィスティケートされたイメージでヒットを飛ばし、19枚のアルバムを発表する人気グループとなった。

 

その前身は「赤い鳥」であり、「竹田の子守唄」の竹田に近い高校に通っていた僕は、「卒業写真」の年にその高校を卒業したこともあり、青春時代を共に過ごしたグループのように感じていた。

実は、ハイ・ファイ・セットは1994年に解散しているのだが、山本俊彦の妻となっていた潤子がその後シンガー・ソングライターとして活動を続けたこともあり、またいつかその姿を見ることができるような気がしていた。

 

ただ2014年2月23日に静岡の沼津市民文化センターで行なわれたコンサートで山本潤子は、5月6日の名古屋公演を最後に無期限の休養に入ることを宣言した。

そして、その1か月後に山本俊彦は急死したのだ。

 

僕にとっては、今日という日がハイ・ファイ・セットの本当の意味での解散の日になってしまった。

田中 尚雅
Naomasa Tanaka
クリエイティブ部門を担当する田中尚雅です。MAGAZINの編集長でもあります。
社会が幸福になるには、それを構成する一人ひとりの幸福こそが必須です。 そのために、あらゆる方法で人と伴走したいと考えています。
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