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  スポーツ史に残る番狂わせ
Rakza MAGAZINE

スポーツ史に残る番狂わせ

2020.09.19
編集長の独り言
田中 尚雅

2015年9月19日、ラグビーW杯イングランド大会でエディージャパンと呼ばれていた日本代表はブラントンで第1戦を迎えた。

相手はW杯優勝2回、3位2回の南アフリカ共和国。かたや日本代表は過去7回のW杯でわずか1勝、それも1991年が最後の勝利だった。

試合前、「君が代」を聞きながらFBの五郎丸歩が泣いていた姿は今も心に残っている。

 

試合は序盤から南アの波状攻撃を受けるも、日本のディフェンスも堅く、相手の反則から先制PGを奪う展開。前半、2トライを奪われるも日本もモールを押し込みリーチ主将がトライ、10−12で折り返す。

 

後半は南アの強力な突破を止められず2トライを奪われるも、日本も五郎丸の確実なPGで追いすがり29−29の同点で後半31分を迎える。

その時の日本の反則で、南アは勝ちを狙いPGを選択、29−32となる。

3点を追う日本はここから猛攻、20回以上もフェーズを重ね残り3分で南アは反則を犯す。

ヘッドコーチ・エディの指示はPGだったがリーチを筆頭にグラウンドのフィフティーンの選択は逆転のトライ狙ってのタッチキックだった。

 

ラインアウトからのプレーも残り1分で再び南アの反則。そこでも日本の選択はスクラム。当然だ!

何度かの攻撃の後、ラックの日和佐から立川、飛ばしパスでマフィからヘスケスへと繋いだ日本はベスケスがそのまま左隅のインゴールに飛び込んだ。

 

34−32でノーサイド 、世紀の番狂わせと呼ばれたゲームが成立した瞬間だった。

僕も当然熱狂した。涙を流した。

 

しかし、その後その大会でさらに2勝を重ねること、さらに4年後の日本大会で4勝を挙げてベスト8に入ることなど、その時には当然予想だにしていなかった。

今となっては、奇跡や世紀の番狂わせではないかもしれないが、この日の記憶を永遠に脳裏に刻みたい。

田中 尚雅
Naomasa Tanaka
クリエイティブ部門を担当する田中尚雅です。MAGAZINの編集長でもあります。
社会が幸福になるには、それを構成する一人ひとりの幸福こそが必須です。 そのために、あらゆる方法で人と伴走したいと考えています。
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