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  「七人の侍」が残したもの
Rakza MAGAZINE

「七人の侍」が残したもの

2020.09.06
編集長の独り言
田中 尚雅

1954年に公開された「七人の侍」は、間違いなく世界でいちばん有名な日本映画だろう。207分という長尺の映画に込められたエンターテイメント性は、世界中の映画人に影響を与え、また愛された。

「本物の時代劇」の製作を意図した黒澤明監督は、徹底的に当時の武士の生活を研究し、最終的に野盗と化した野武士集団に対抗するため、農民が雇った七人の侍という設定を作り上げた。

脚本は黒澤、橋本忍、小國英雄によって練られ、七人の侍の人物設定は精緻を極め、そこにベストのキャスティングが行われた。

物語の中心となる村は、数多くのロケ・ハンでも決めることができず、地形ごとに別の撮影場所が決められ、ひとつの場所として再現された。

侍と農民の戦いのシーンは、それまでの時代劇の歌舞伎の所作的な殺陣をよしとせず、カツラや衣装も含めて徹底的なリアリティを目指し、豪雨の中の決戦とすることも含めて完成した。

モノクロ、スタンダードサイズの画面の中で、志村喬や三船敏郎演じる侍たちと、小杉義男や津島恵子が扮する農民たちが躍動する。

マルチカメラや望遠レンズでその動きを捉え、戦闘シーンでスローモーションを使ったことも画期的だった。

時代劇でありヒューマンドラマである「七人の侍」は、間違いなく日本映画史の金字塔である。

 

世界中の映画賞で評価されたこともあるが、ジョン・スタージェス監督が「荒野の七人」としてリメイクしたほか、アーサー・ペン、サム・ペキンパー、ジョージ・ルーカス、ジョン・ウーなどの監督に大きな影響を与えた。

 

東宝創立40周年記念で、テレビ番組に七人の侍役の役者が揃ったことがある。(1872年TBS)

七人の役者は、今ではすべて物故者となってしまったが、映画の中で生き残った三人(加東大介、木村功、志村喬)が、最初に亡くなったことが話題になったことがある。

 

「この映画を語ると終わらなくなる」そんな映画なのだ。

田中 尚雅
Naomasa Tanaka
クリエイティブ部門を担当する田中尚雅です。MAGAZINの編集長でもあります。
社会が幸福になるには、それを構成する一人ひとりの幸福こそが必須です。 そのために、あらゆる方法で人と伴走したいと考えています。
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