一般に「都の西北」と呼ばれているが、それは正式ではなく、スポーツの試合前に演奏される際も、応援部は「早稲田大学校歌」と言っている。
創立25周年に向けて作られた歌で、始めは学生から23編の応募があったもののこれという作品がなく、審査に当たった坪内逍遥と島村抱月は、相馬御風に作詞を依頼したという。その詞に、当時講師であった東儀鉄笛が作曲した。そのメロディの原型は、イギリス・イェール大学の学生歌「オールドイェール」と言われている。
1907(明治40)年10月21日、早稲田大学創立25周年式典において、陸軍戸山学校軍楽隊の演奏により初めて披露された。
この校歌、3番までの歌詞に合計22回「早稲田」という言葉が出てくるのだが、こんな校歌はおそらく世界広しといえども最多だろう。
まあ、早稲田らしいとも言える、
ちなみにこの校歌を有名にしたことのひとつに、「天才バカボン」のバカ田大学校歌の影響がかなりあったと思うのは、僕だけだろうか?