1612年4月13日、宮本武蔵と佐々木小次郎が豊前小倉沖の無人島・舟島で行われた。
日本人なら誰もが知る有名な「巌流島の決闘」だが、史実としては明らかではない。そもそも、佐々木小次郎に関する細かな記録そのものが定かではない。
武蔵の没後に書かれた伝記「二天記」にわずかに記されているだけであり、吉川英治の「宮本武蔵」に残された物語も、あくまで吉川の創作とされている。
したがって、武蔵がわざと決闘に遅れた事実も、小次郎が鞘を投げ捨てて「小次郎敗れたり」と武蔵が言った言葉も、小次郎の「三尺の白刃」も秘剣「燕返し」も、武蔵が使ったのが船の艪を使った木刀であるということも、すべてが明確ではない。
ただ、小次郎が名乗った流派が「巌流(岩流)」であったため、舟島が現在も巌流島と呼ばれていることだけは間違いがない。
一般的には、小倉城下に道場を開く高明な巌流・佐々木小次郎に、諸国修行中だった宮本武蔵が決闘を申し入れて実現した闘いということになっている。
いずれにしても巌流島は関門海峡の下関市にある無人島であり、武蔵と小次郎の銅像があり、観光名所であることは事実である。
一度は訪れたい場所だが、その願いは叶うのだろうか。