2011年3月11日(金)14時46分、三陸沖の太平洋を震源とする東日本大震災(正式名称は「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」)が発生した。
地震の規模を示すマグニチュードは最終的に9.0、これはチリ地震(9.5)、アラスカ地震(9.2)、スマトラ島沖地震(9.1)に次ぐ、地球規模でも観測上4番目の大きさの地震となった。
地震そのものによる被害に加え、津波・火災・液状化現象・福島第一原子力発電所事故・大規模停電など多岐にわたり、死者・行方不明者の数は1万8434人で、太平洋戦争後最悪の自然災害となった。
特に津波の高さは想定を遥かに上回るものとなり、岩手県大船渡市の綾里湾では40.1mにも達したと見られ、明治三陸地震の最大記録を上回り、観測史上最大の遡上高となった。
この凄まじい災害と被害を、我々は決して忘れてはならない。
僕は当時大阪勤務だったが、大阪でもはっきりと揺れを感じ、しかも支社の同じフロアに「ミヤギテレビ」の支社もあったことから、さまざまな被害を目の当たりにすることになった。
関東でも液状化や停電、帰宅困難者が相次ぎ、駅や公園は人で溢れた。携帯電話は不通となり、公衆電話の前に大行列ができ、十円玉が不足した。
多くの人が家族や友人と連絡が取れなくなり、数時間から数日の間安否を確認できないことになった。そして、駅やコンビニの灯りが消え、街全体が薄暗くなった。
あの不安を、不自由を、決して忘れてはならない。
この日を迎えるにあたり、もう一度しっかりと記憶に留めること、最悪の事態を想像し行動すること、そして躊躇わずにすぐに動き出すことなどを肝に銘じたい。
次の災害時に被害を最小にすること。それが多くの被災者に報いることになる。