1945年3月10日未明、米軍は東京の下町地区を中心に大規模な空爆をおこなった。いわゆる「東京大空襲」である。
米軍での作戦名は「ミーティングハウス2号作戦」とされ、軍需産業の拠点となる中小企業の町工場を攻撃目標と理由づけはするものの、超低高度、夜間、焼夷弾攻撃という新戦術であり、延焼効果の高い風の強い日を狙った作戦であった。
使用された焼夷弾は、いわゆるナパーム弾と呼ばれるもので、鉄製の弾頭内にゼリー上にしたナパーム剤(ゲル化ガソリン)を封入したもので、屋根を突き破って屋内で爆発し、周りを焼き尽くす非人道的兵器といわれるものであった。
つまり、本当の目的は戦闘員と非戦闘員、軍需工場と一般住宅を区別せずに空襲した「無差別爆撃」だった。一方、その実、住宅地域と非戦闘員を狙った「選別爆撃」という見方もある。
作戦に関わったB-29 爆撃機は300機以上、投下された投下弾量は38万1300発、1665トンに上った。
死者は10万人以上で、単独の空襲による犠牲者数は世界史上最大、東京35区(当時)の3分の1以上となる41万平方キロメートルが焼失した。
この空襲が一般国民の戦意の喪失を狙ったものだとすれば、その目的は十二分に達成されたことになる。
東京都は、戦争の参加を再び繰り返さないことを誓い、1990年に「東京都平和の日条例」を制定し、3月10日を「東京都平和の日」と定めた。
この空襲を体験した人の話を聞いたことがあるが、まさに地獄絵図であり、九死に一生を得た体験であったことは想像に難くない。
今日を、平和について考える日にしたい。