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  ザ・デストロイヤーの忌日
Rakza MAGAZINE

ザ・デストロイヤーの忌日

2024.03.07
編集長の独り言
田中 尚雅

2019年3月7日、アメリカのプロレスラー、ザ・デストロイヤーがニューヨーク州バッファローの自宅で生涯を終えた。88歳だった。

アメリカでのリングネームは、「The Intelligent Sensation Destroyer」、「Dick “The Destroyer” Beyer」と呼ばれた覆面レスラー。愛称は「ディック」。

アメリカでの活躍後、日本プロレスでも力道山、ジャイアント馬場とも対戦し人気を誇った。1963年5月24日に東京体育館で行われたWWA世界選手権での力道山との対戦では、平均視聴率64%という驚異的な数字を残した。

デストロイヤーの代名詞とも言われる技は、「4の字固め」。正確には、フィギュアフォーレッグロックつまり「足4の字固め」で、かけられる人の足が数字の4という字の形に絞められる技だ。

そして、レスリング素人ながらこの技をかけられ、その間ずっと実況を続けたのが日本の誇る名アナウンサー、徳光和夫だ。

デストロイヤーはタレントとしても人気で、日本テレビの「金曜10時!うわさのチャンネル!!」にレギュラー出演をしていた。

そこにかつてプロレスの実況を担当し、デストロイヤーとも個人的に親交のあった徳光和夫が出演した時のこと。

ゲストの横山やすしが4の字固めをかけられ、それを実況するという企画だったのだが・・・以降がその時の実況である。

「おっとなんだ、デストロイヤーがあの独特のウォーキングポーズで私の方に近づいて来ます、なんだ、なんだ、何をするんだデストロイヤー。私、徳光の髪を掴んで、肩まで持ち上げた!私、徳光、どんな状況になろうともマイクは離しません。あー!デストロイヤーが私に4の字固めをかけた、アー!痛い、痛い、何するんだこのヤロー、ディックてめぇ」

歴史に残る名実況を生み出したのは徳光だが、それをもたらしたのは愛すべき男、ザ・デストロイヤーだったのだ。

この話にはもっとオチがあるのだが、それはまた別の機会に。

徳光さん、何度も聞いたこの話、今年も勝手に書かせていただきました。

田中 尚雅
Naomasa Tanaka
クリエイティブ部門を担当する田中尚雅です。MAGAZINの編集長でもあります。
社会が幸福になるには、それを構成する一人ひとりの幸福こそが必須です。 そのために、あらゆる方法で人と伴走したいと考えています。
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