1898年2月24日、日本鉄道会社の帰還した400人がストライキに突入し、東北本線の上野〜青森間の列車が運休した。
そもそも日本鉄道福島機関部が待遇改善の要求をしたことに対し、会社側が指導者22名の解雇を断行したことにより、闘争となった。
また、機関方→機関手、火夫→乗務機関手、掃除夫→機関生などの職名改称も求め、労働者の地位向上も求めていた。
このストライキは27日に終結したが、4月5日に日本鉄道の労働組合である「日本鉄道矯正会」が結成されることに繋がった。
ところで、日本でも「スト権スト」という大規模なストライキがあったことをみなさんは覚えているだろうか?
公共企業体等労働組合協議会(公労協)が行なった、ストライキを行う権利を求めて日本国有鉄道が行ったストで、1975年11月26日から12月3日にかけて、国鉄の列車のほぼすべてが運休したストライキだ。しかも28日には、私鉄総連のストも重なり、都心から人が消えたはずだ。
僕はちょうど浪人生で、列車に乗る生活でなかったためにあまり詳しく覚えていないものの、日本中が大混乱に陥ったことは間違いがない。
いまは昔の物語だが、今後ないという保証はない。