1911年2月21日、夏目漱石は、文部省から打診された文学博士号の授与を辞退した。その理由は、「自分には肩書きは必要ない」ということで、辞退する旨を書いた手紙を、文部省専門学務局長の福原鐐二郎に送った、という。
このことに由来して、この日は「漱石の日」と呼ばれる。
本名は夏目金之助、漱石というペンネームはもともと正岡子規のものだったという。
東大予備門の同窓生だった二人は、意気投合し親しい交友関係を結ぶ。
正岡子規は多くのペンネームを持つことでも知られるが、「漱石枕流」という頑固者・ひねくれ者を指す四字熟語をもとに「漱石」とも名乗っていた。
それを、夏目金之助が名乗ることになったというのだ。名前を譲った関係ということになるのだとうか。
二人には落語という共通の趣味もあったことに加え、漱石が子規の故郷・松山市の中学に赴任したときは、漱石の下宿「愚陀仏庵(ぐだぶつあん)」で52日間共同生活をしたという逸話も残っている。
二人の友情はその後も続き、漱石の処女作である「吾輩は猫である」は、残念なことに早逝した正岡子規所縁の「ホトトギス」で発表されることになる。
「漱石の日」は、夏目漱石と正岡子規の友情の証の日でもあるのだろうか?