1902年1月23日、青森県の八甲田山で雪中行軍に出かけた兵士210名が猛吹雪の中で遭難し、199人が凍死した。
当時の帝国陸軍は、ロシアとの極寒地での戦いを想定して準備をしており、冬季訓練が大きな課題であった。
そこで青森歩兵第5連隊の210名と、弘前第31連隊の37名が、それぞれ異なったルートで雪中行軍を行うことになる。
しかしシベリア寒気団が列島を覆う中、西高東低の典型的な冬型の気圧配置となり、気温は低下し猛烈な吹雪に見舞われる。
そんな中であったが装備は貧弱であり、また士官の予備知識や情報が不足する中指揮系統は大混乱に陥り、部隊は右往左往することになり、ついには散り散りになり、第5連隊は遭難する。
この遭難事故は、のちに新田次郎が「八甲田山死の彷徨」という小説にし、それを元に映画化もされた。
映画は169分もある大作であるが、その圧倒的な映像の迫力と迫真の演技のため、一気に見てしまう。
かつてリーダーシップの学びのために教材にしようとしたこともあったが、それにはちょっと長すぎた。
指揮官の意思決定と指示の統一が、いかに大切か良くわかる。