1939年1月15日、69連勝を続けていた横綱・双葉山が、前頭4枚目の安藝ノ海に敗れた。
このことはもうあちこちに書いているので今更なのだが、とにかくこの敗戦までにはいろんなエピソードがある。
前年の満州・大連巡業でアメーバ赤痢にかかって体重が激減したとか、場所前に力士会長の玉錦が急死して力士会長になったこと、横綱の責任感で休場を考えながら強行出場したことなどがある。
また、連勝が止まったのちに師と仰ぐ安岡正篤に対して打電した「イマダモッケイタリエズ」という電文など敗戦後も多くの逸話に溢れている。
ただ、それもこれも、この双葉山定次の3年ぶりの敗戦が、どれほどの社会的インパクトがあったのかを感じさせてくれる。
この69連勝という記録は、平成の大横綱・白鵬がわずかに塗り替えることができなかった記録である。
しかし、双葉山はその後も横綱として角界を牽引し、さらに時津風一門を率いて大相撲の隆盛に尽くしたこと、くわえて日本相撲協会の理事長として部屋別総当たり制を実施し、相撲茶屋の法人化など改革に尽力したことを考えると、戦前の大横綱というより、歴代最高の相撲取り(力士)という方が相応しいように思う。
ちなみに、のちの大横綱で理事長も務めた北の湖敏満が引退を表明したのが1985年の1月15日だった。
大相撲ファンの僕としては、今の土俵を応援しつつ、偉大な力士のことをいつも感じている。