日本のディスクジョッキーの草分けとしては、やはりこの人・糸居五郎。
東京生まれの糸居は、兄の影響で小学生の頃からジャズを聴いていたという。高校卒業後、兄が官吏として赴任していた満州に渡り、そこで英語を学んだ。
1941年に満州電信電話株式会社の新京中央放送局にアナウンサーとして入社、当時同局に勤めていた森繁久彌からアナウンス指導を受けた。
帰国後、1951年に開局を控えていた京都放送にチーフアナウンサーとして入社、52年に民放初の本格的なDJ番組「アルファベット・ジャズ」を担当した。
54年にはニッポン放送の子会社・株式会社深夜放送に入社、ニッポン放送の開局第一声も担当したという。
59年から「オールナイトニッポン」の前身である「オールナイトジョッキー」を担当。67年に「オールナイトニッポン」が始まると、定年後の81年まで担当した。
まさに、日本のディスクジョッキーの歴史を作ってきた人生であった。
1984年12月28日、食道癌により、63歳の若さで鬼籍に入った。
そのことにちなみ、この日がディスクジョッキーの日と定められた。
今もあの声を思い出すことができる。
「Go Go Go & Goes On!」
ところで、蛇足であることは理解しているが、来年の我が阪神タオガースのキャッチフレーズは、「A.R.E.GOES ON」である。